10/16(日)、当協会主催の「ウクライナ人道支援 伝統工芸展&トークイベント」が茅ヶ崎市民文化会館展示室にて開催されました。268名の方にご来場いただき、会場に設置した募金箱には225,082円ものご寄付を頂きました。お預かりした募金は、全額をNPO法人「日本ウクライナ友好協会 KRAIANY」に寄付させて頂きました

茅ヶ崎市内や近隣市町だけでなく、横浜・東京など遠方からの参加もありました。子ども連れのご家族や担任の先生に引率された小学生のグループの姿も見られました。開催目的の一つが、「ウクライナの現状や歴史・文化を一人でも多くの人に知ってもらう」ことでしたので、たくさんの方にご参加頂き大変嬉しく思いました。ご来場頂いた皆様、ご寄付頂いた皆様、誠にありがとうございました。

ご記入いただいたアンケートより、感想をご紹介いたします。

  • 自分達の国の文化を守るためにここまで強い意志を持っていることにびっくりした。いつか戦争が終わったら行ってみたいと思った。
  • 卵の伝統工芸とても素敵でした。小さな子供達の無事を心から願っています。
  • 現状、知らなかった歴史を知ることができた。文化・言語統制の意味することに胸が痛んだ。トークイベントは「よく知る」のにとても役立った。

メッセージボードにも、平和への願いやクライナへの応援をたくさんお寄せいただきました。また、ウクライナ支援に携わる方・関心のある方から、直接のお声がけをたくさん頂きました。今回広がった支援の輪をさらに広げるべく、これからも茅ヶ崎市国際交流協会はウクライナ支援活動を続けて参ります。皆様にも、ウクライナの方々に長く心を寄せ続けて頂けましたら幸いです。

 本イベントは、ウクライナ・キーウ出身で川崎在住の伝統工芸作家テチャーナ・ソロツカさんがロシアによる侵略で危機に瀕する母国を思い、家族や仲間と共に今年3月から始めたプロジェクトを、当協会が茅ヶ崎市にお招きしたものです。

会場には、ウクライナのイースターエッグ「プィーサンキ」を中心とする伝統工芸品と、戦禍の写真が展示されました。展示の合間には、テチャーナさんによるプィーサンキ制作実演がありました。さらには、午前と午後の2回、ソロツカさんご一家によるトークイベントが行われ、それぞれ約70名の参加がありました。

展示のプィーサンキは約300点。プィーサンキを20年以上作り続け、10年前から教室を開催してきたテチャーナさんの呼び掛けに応じて、ウクライナ現地作家5名を含む26名の作家から、これだけ多くの作品が集まりました。

プィーサンキは、卵の殻に花、太陽、動物、幾何学模様などを「ろうけつ染め」の技法で色鮮やかに施したウクライナの伝統工芸品です。「キストカ」という専用のペンを使ってミツロウを溶かしながら線を書き、染色を繰り返して制作します。それぞれの模様には象徴的な意味があり、家族の健康や作物の豊作などの願いを込めた「お守り」として、ウクライナにキリスト教が伝わる前、つまり、1000年以上前から各家庭で作られてきました。

会場には、一般的なニワトリの卵を使った作品をはじめ、小さいものはウズラ~大きいものはダチョウまで色々な卵を使った作品がそろいました。作家によって、デザインや色合いなど作風は様々です。来場者は、色鮮やかで精緻な作品の数々に目を凝らしては、しきりに写真に収めていました。会場では、テチャーナさんがプィーサンキの歴史や作り方を丁寧にご説明下さいました。

(写真の上にポインターを載せると矢印が出て写真をスライドさせることができ、素晴らしい作品の数々をご覧いただけます)

長い伝統を持つプィーサンキですが、1991年のウクライナ独立以前、旧ソ連統治下ではウクライナ語や他のウクライナ文化同様禁止されていました。1971年生まれのテチャーナさんも、彼女の母親も、その存在を知らなかったそうです。テチャーナさんがプィーサンキを知ったのは、2000年に来日した後のこと。母国の友人にお土産でもらい、その美しさとウクライナ固有の文化であることに感動し、その後独学で技術を習得しました。
会場には、テチャーナさんが学んだテキストも展示されました。

プィーサンキに混じって展示されたのが、ウクライナ刺繍の作品と、魔除け人形の「モタンカ」です。これらは、テチャーナさんの友人であるイリーナ・ヴェトロヴァさんと生徒さんが出品下さいました。

息を呑むほど美しい工芸作品と対照的だったのが、戦禍の写真です。ロシアの攻撃により家族や住居を奪われ、虚ろな目で避難する罪の無いウクライナの人たち。子どももお年寄りも動物もいます。焼け焦げた車、瓦礫と化した建物、爆撃を受け物が散乱した教室。侵略前と後の同じ場所の写真を並べたものもありました。並んで飾られたプィーサンキがただただ美しい分、同じ国で起きた現実はどれも見ていて胸が痛むものでした。
(写真をスライドさせて複数ご覧いただけます)

ウクライナの人たちの大切な命を、土地を、30年かけて取り戻した独自の文化を、このように理不尽に奪おうとする暴挙を、私たちは決して許してはいけないと強く思いました。約100点もの写真を集めて、私たちに侵略の現実を知らせて下さったテチャーナさんのご夫君に、心より感謝申し上げます。

 

展示コーナーの一画でテチャーナさんによる実演が始まると、たちまち多くの人が周りを囲みました。本来は、ローソクの火を使ってミツロウを溶かすのですが、今回は会場の都合で電気式のキストカを使いました。中身を抜いた卵に書かれた下書きは、縦と横を一周する2本の線だけ。慣れた手つきで線をなぞると、あとはフリーハンドでどんどん模様を書き込んでいきます。そして、最初は黄色の染料に浸け、またしばらく書いて次は赤の染料に、赤で染まった一部に細筆で緑の染料をのせ、そこをミツロウで塗りつぶし…とどんどん作業が進みます。普段は、深夜一人静かに精神統一をしながらプィーサンキを書くというテチャーナさんですが、この時は、作業工程や書いている模様の意味などを説明しながら進めて下さいました。最後に、ドライヤーの熱でそれまで書いたミツロウを全て溶かして拭き取ると、色鮮やかな模様が現れ、開始から15分で完成。見学者からは感嘆の声と拍手が起こりました。ウクライナでは、イースター前の1~2か月をかけて、家族や友人など贈る相手によってひとつひとつデザインを変えながら、一人で100個以上のプィーサンキを作ることもあるそうです。

続くトークイベントでは、最初の30分間のプレゼンをソロツカご夫妻の二人の娘さんが担当し、スライド写真を見せながら、ウクライナの歴史・ソ連邦の中のウクライナ・2022年に至る出来事・今の戦争についてお話し下さいました。お若いお二人が、主観を交えず丹念に調べた事実だけをわかりやすく誠実にお話し下さったことに、深い感銘を受けました。

以下、概略を載せます。

ウクライナは、1991年の旧ソ連崩壊と同時に独立しましたが、実際は、それ以前から独自の言語と文化を持って存在していました。豊かな土地であるウクライナを、ロシアは昔から支配しようとし続けてきました。国民的詩人として今もウクライナの人々の精神的支柱であるタラス・シェフチェンコは、ウクライナ語で詩を書くことを禁じられる文化迫害を受けました。1920-30年代のスターリン時代には、3万人の文化人が処刑され、1932-1933のホロモドール(人為的な飢饉)では、1年で少なくとも390万人のウクライナ人が飢餓により亡くなりました。

今の戦争につながる2014年のロシアによるクリミア半島併合は、EUとの関係強化を支持して大統領になったヤヌコーヴィチが国民との約束を反故にし、それに国民が抗議して起こった同年2月のマイダン革命とその後の政治的混乱に乗じて行われました。マイダン革命のドキュメンタリー”Winter on Fire” は、Netflixで配信されており、日本語で視聴できます。

今年2月から続く戦争では、ほとんどのウクライナ人が爆発で目を覚ますという経験をしています。地下室の方が安全だと知っている子どもは、自宅に入ることを拒みます。1400万人がウクライナから脱出しましたが、その中には、たとえ今すぐ戦争が終わっても帰る場所がない人がたくさんいます。ロシアは、民間人を組織的に殺害しています。一時ロシア軍に占領され、ウクライナが4月に奪還したブチャでは、手を縛り頭を撃たれた400人以上の遺体が見つかりました。5月に解放されたハルキウ州イジュームでも、440基の墓が見つかりました。クリミア大橋爆発の報復とされる10/10のウクライナ全土への攻撃では、エネルギーインフラの30%が損害を受けました。

このような大きな被害を受けながらもウクライナは戦い続けます。ロシアが今戦うのをやめれば戦争は終わりますが、ウクライナが今戦うのをやめればウクライナが消えることを、ウクライナ国民は歴史を通して知っているからです。ウクライナは勝たなければなりません。国外に脱出した1400万人のうち660万人が、国を守るためにすでにウクライナに帰還しました。戦後の復興計画もすでに策定が進んでいます。

ウクライナがこの戦争に勝ちその後復興するために、支援の継続をお願いします。支援の一つの方法は、募金です。NPO法人日本ウクライナ友好協会は、寄せられた募金を翌日にウクライナに送金するというスピード感が特徴の募金先です。売り上げが寄付される支援グッズもあります。ウクライナ製品を購入することも、ウクライナの経済を動かし支援となります。音楽に興味があれば、ウクライナ人アーティストの曲をYouTubeで聴くことも支援となります。

続くQ&Aコーナーでは、伝統衣装を身に着けたご一家4人がそろって参加者の質問に答えて下さいました。“ソ連邦下と独立後の違い”“今の戦争を戦うウクライナ人の心情”“親ロシア派と呼ばれる人たち”“ウクライナ料理”“語学の勉強法”など、内容は多岐に渡り、予定の30分はあっという間に過ぎました。

「ソ連時代、私たちは籠の中の鳥だった。独立後、初めて自由で本当の世界を知った。ソ連時代には決して戻りたくないから、私たちは強く戦っている。」というテチャーナさんのご夫君の言葉が印象的でした。

ここで、ソロツカさんが会場でご紹介くださったウクライナ関連の書籍をご紹介します。

  • ウクライナファンブック:東スラブの源泉・中東欧の穴場国(平野高志著、パブリブ)
  • シェフチェンコ詩集 コブザール(タラス・シェフチェンコ著、藤井悦子翻訳、群像社)
  • 自由を守る戦い:日本よ、ウクライナの轍を踏むな!
    (ナザレンコ・アンドリー著、明成社)
  • ウクライナ戦争日記(Stand With Ukraine Japan編集、左右社)
  • 国境を越えたウクライナ人(オリガ・ホメンコ著、群像社)
  • 物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパの最後の大国(黒川祐次著、中公新書)

最後に、来場者のお一人から教えて頂いた詩をご紹介いたします。2013年にキーウにあるチョルノービリ博物館を訪れた際、ロビーに大きくウクライナ語と日本語で掲げてあったもので、2011年の福島原爆事故の被災者に向けて書かれた詩だそうです。

傷ついた桜を姉妹と呼んで優しく抱きしめてくれた栗の木。その栗の木が、今、理由もなく痛めつけられながら、諦めずに必死に立ち続けています。今度は、桜の木が栗の木に寄り添う番ですね。

長くなりましたが、以上で10/16ウクライナ支援イベントの報告を終わります。

茅ヶ崎市国際交流協会では、次のウクライナ関連イベントとして来年1~2月にプィーサンキ制作の3回連続講座を予定しています。講師は、テチャーナ・ソロツカさんです。詳しいご案内・受付は12月に当協会のホームページで行いますので、ご興味のある方はまたHPをご訪問ください。